子どもが以前不登校気味になった経験から、学校生活を楽しめていない様子を感じると、
母である私自身がとても敏感になってしまっていた時期がありました。
子どもが笑顔で帰宅すると、ほっとする。
けれども、黙り込んで口数が少ない時は、きっと何かあったんだろう、そっとしておこうと思う反面、
その日は子どものことが気になって、一日中「心配」という気持ちに引きずられてしまっていたのです。
1人でいる日中も、なんだか心から笑えない。
夜、考え込んでしまって眠れない。
未来を憂いて、「このままで大丈夫なのだろうか」という不安が頭の中に渦巻いていました。
子どもの心の不安定さが、そのまま私の心の状態になっていることを自覚したのです。

共依存なのではないか、客観的に自分を見て心を整えようとしましたが、
とにかく子供が不安定なときは、私も同じように気持ちが落ちてしまっていたのです。
「子どもに深く関わりすぎているのでは?」という疑問
子育て本の数々は私のバイブルで、いつも手の届くところにありました。
自分が子育ての壁にぶつかった時や、不安になった時、いつでもそこに「安心」があるような気がしていたのです。
そのお陰もあり、子供の感情が伝染している自分の状態には、
もしかしてと自分で気が付くことは出来ていました。
「私は、子どもに関わりすぎているのではないか」
「これは、共依存なのではないか」
15歳、もうすぐ16歳になる長男。
もう自分の人生を歩き始める年齢。
けれども
私はここまで心を引きずられている。
この状態は健全と呼べるのだろうか。
適切な距離を取るべきなのだろうか。
そう考えてもなかなか答えは見つからず、心はどんどん苦しくなっていきました。
私が「おかしい」わけでも、「弱い」わけでもなかったと思えた
今だからこそ言えるのが、当時の私の反応は、
異常だったり、弱さから来ていたものではありませんでした。
「感情に振り回されていたから」ではなく、
子供の感情を感じ取るアンテナが敏感で、
子どもの表情や声の変化を見逃さないように、
いつ何が起きても対応できるように、
そう心を張りつめたまま過ごす日々が続いていたからだったのです。
「苦しい」と感じていたのは、
状況に耐えられなかったからではなく、
目を背けずに向き合い続けていたからでした。
子どもの不調を軽く扱えず、
「大丈夫」と簡単に片づけることもできず、
どうにか理解しようと、考え続けていた。
その重さを引き受けていた心が、
もうこれ以上は無理だと「苦しさ」と引き換えに、私に知らせてくれていただけだったのです。
あの苦しさは、
私が誠実に、真剣に、
子どもと向き合ってきた証でした。
なぜ、子どもが不安定だと親も壊れそうになるのか
心理学では、この状態をどのように見ているのか。
手元の本を読み返し、ネットで調べ、自分を知るために客観的に書き出してみました。
情緒的巻き込まれ
子どもの感情に深く入り込み、
子どもが苦しいと自分も苦しくなる状態。
感情的同調
表情や空気を無意識に受け取り、
相手の感情が自分に伝わってしまうこと。
境界の曖昧さ
「これは誰の問題なのか」が分からなくなり、
相手の苦しみを自分が引き受けすぎてしまうこと。
代理トラウマ・共感疲労
大切な人の苦しみを見続けることで、
心が摩耗していく状態。
母親アイデンティティの過集中
「母としてちゃんとやる」ことが人生の中心になり、
子どもの状態が自分の価値と強く結びついてしまうこと。

母性本能が強いと言われていた私が、子育てにおいては、それが
母親アイデンティティの過集中になりやすい状況だったということを自覚しました。
これらは「性格の欠点」ではないくて、すべて
✔ 共感力が高い
✔ 誠実
✔ 責任感が強い
✔ 人の変化に敏感
という、人としての強みから生まれた状況だったのだと理解をしました。
そして、その強みを休みなく使い続けた結果、心が疲れ切ってしまっただけだったのです。
子どもと物理的に距離を取ることが、答えではなかった
「これ以上関わるのは、子どものためにも自分のためにも良くないのではないか」
そう考えたりもしましたが、
実際に、私が苦しかったのは、
子どもと近すぎることそのものではなく、
子どもの苦しさと、自分の不安を区別できなくなっていたことでした。
子どもの苦しさ = 私の不安
子どもの問題 = 私が解決すべきこと
そう思い込んでいたから、
自分が感じている不安なのか、
子どもが抱えている痛みなのか、
その境目が分からなくなっていたのだと思います。
私にとって必要だったのは、
物理的な距離でも、感情を遮断することでもありませんでした。
必要だったのは、突き放すことではなく、
「これは誰の感情なのか」を考え、心の中でそっと線を引くことでした。
子どもは、今、苦しんでいる。
私は、その姿を見て、不安を感じている。
どちらも事実。
でも、同じものではない。
そう気づけたとき、初めて私は、子どものそばにいながら、
一緒に沈み込まなくてもいい場所があるのだと気づきました。
それが、私にとっての「距離」でした。
親ができることの限界を知る
確かに私は、「何とかしてあげたい」と思っていました。
母として何かできることがあるはずだと、強く思いこんでいたのです。
けれども、最終的に気づいたのは、
親ができるのは、子どもの人生を代わりに解決することではなく、
その苦しさの中に、子どもを一人で置き去りにしないことでした。
問題は残ったままでも、不安が消えなくても、
そばにいることだけはできる。
そう自分の限界を受け入れられたたときに、初めて私は
「母が全部背負わなくていい」
と思えたのです。
親がそばにいることが、何を変えるのか
もちろん、親がそばにいるだけで、問題そのものがすぐに解決するわけではありません。
学校の状況が変わるわけでも、人間関係の悩みが消えるわけでもない。
それでも「そばにいること」には、確実に意味があります。
子どもが強い不安や怒りの中にいるとき、心は常に緊張状態にあり、考える力そのものが働きにくくなっています。そんなときに正論や解決策を投げかけられると、子どもはさらに身構え、自分の殻に閉じこもってしまいます。
一方で、評価せず、急かさず、ただそばにいる大人がいると、子どもの心は少しずつ安全な場所に戻っていきます。安心できる状態に戻って、はじめて「考える力」や「言葉にする力」が戻ってくるのです。
また、親がそばにいることで、子どもは「このままの自分でも、ひとりではない」と感じることができます。問題が解決していなくても、苦しさが消えていなくても、見捨てられていないという感覚は、自己否定がこれ以上深くなるのを防いでくれます。それは回復に必要な、最低限の土台です。
不思議なことに、親が何とかしようと手を伸ばしすぎると、子どもは自分で考える力を失っていきます。でも、親が「解決役」から一歩降りて、そばにいる存在になると、少しずつ子どもは自分で考え、自分で動こうとし始めます。
そばにいることは、何もしないことではありません。答えを急がず、子どものペースを信じ続けるという、実はとても根気のいる関わり方です。
解決とは、親が外から与えるものではなく、子ども自身の内側から生まれるものです。
親がそばにいることで、子どもは失敗しても立て直せる環境を持つことができます。
その積み重ねが、結果として「解決につながる力」を育てていくのだと、今は信じることが出来るのです。
まとめ|今、同じ場所にいる人へ
もしこの記事にたどり着いたあなたが今、
- 子どものことで眠れない
- 自分の人生を楽しめない
- 罪悪感でいっぱい
そんな状態にいるなら、それは、あなたが子どもの役に立てないからではなく、ちゃんと向き合っているからこそ、苦しいのだと理解してください。今はまだ途中でも、一度立ち止まってみてもいいのです。
私も今心が揺サブられるときはありますが、でも、一緒に沈みきることは少しずつ減ってきました。
強くなったからではなく、自分の限界を認められるようになったからです。
今の私の想いを乗せた言葉が、あなたの苦しさに意味があることや、一人ではないことに気づくきっかけになれば幸いです。


